先日まで,子どもたちは47都道府県の暗記に取組んでいた。
前学年でも学習していたのだが,すっかり忘れてしまっていることがわかり,学年でもう一度取組むことになったのだ。子どもたちには,事前にプリントを配付し練習をしてもらい,いついつやるよと予告してテストを実施した。
2回目のテストまでにほとんどの子が合格し,残るは3人になった。その3人と休み時間や給食の準備時間を利用し,一緒に練習したり家庭学習として練習してもらったりした。
「今度は合格できるかも。」
「練習してきたから大丈夫。」
子どもたちは自信をのぞかせ,3回目のテストに挑んだ。
でも,あと少しというところで合格できなかった。
そこで,また休み時間や給食の準備時間など時間を見つけて一緒に練習した。
「ここは?」
「愛知県。」
「ここは?」
「三重県。」
そして,4回目のテストにチャレンジ。
「絶対大丈夫。」
「今度は,合格したと思う。」
前回以上に自信たっぷりの様子だった。結果は,3人ともみごとに合格だった。結果を伝えると3人は,
「やった。」
と,とても喜んでいた。
子どもたちは,休み時間でも「ちょっと練習しよう。」と言うと,当たり前のように練習していた。子どもたち自身,向上し続けていることを自覚していただろうし,合格したいという思いもあっただろう。さらに合格の基準も明確だったので,がんばりやすかったのだと思う。もしかしたら,やらなかったら怒られると思っていたかもしれない・・・。ともかく,子どもたちはがんばり続けた。そのことが合格につながったのはまちがいない。子どもたちが合格したことは,私もとても嬉しかった。
一方で,今回のことを通してあらためて考えたことがいくつかある。
一つは,結果だけに満足していてはいけないということである。全員が合格したからといって,適した指導方法だったとは言いきれない。別な方法でやったほうがより楽しくよりわかりやすく,よりやる気をもってできたかもしれない。結果だけを見るのではなく,その過程もふり返ることが今後につながると考えた。
もう一つは,がんばりは人それぞれだということである。一つでもできるようになることが,その子にとってみるととても大きながんばりである場合もある。合格させることばかりに執着するのではなく,その子なりのがんばりをしっかり認められるようにしたい。また,がんばりすぎになっていないかを見とったり,「難しいです。」「苦手だから手伝ってください。」と,子どもたちが言えたりできるように,子どもへの接し方,学級の雰囲気も今一度考えていくことが必要だと考えた。
最後に,がんばることが当たり前ではないということを気持ちの片隅にもっておく必要があるということである。子どもたちにどうしてもがんばることを求めてしまう自分がいる。がんばることを「よし」として,「苦手なことでもがんばろう」「がんばればできるようになる」「がんばろう」「がんばろう」と,子どもたちに投げかけている。でも,心に気になることがあったり体調がすぐれなかったりして,その日・その時はがんばるエネルギーが切れている場合だってある。究極なことをいえば,がんばらないという選択肢だってあるのだ。がんばることが当たり前と思っていては,そうできない子に寄り添うことはできないのではないかと考えた。
忘れがちだが,日々当たり前のように行っているいろいろな取組を見直してみることが,目の前の子どもにあった環境づくりや指導方法につながるとあらためて気づかされた。
三浦 将大
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