僕は今年度、教員生活23年目を迎えるけど、振り出しは小学校だったから最初に受け持った5年生はいまは33歳ぐらい。それからついこの春に送り出した高1の16歳まで、教え子の年齢を数えてみると自分も結構年を取ったなと感じてしまう。同時に、当時は辛かった出来事もそのほとんどが思い出として美化されてしまうから不思議なものだ。
今年の夏に、振り出しの小学校の小さなOB会に招かれて19年ぶりに行ってきた。空知の北の果てにある小さな町の小学校はつい最近新築したばかりで、現代的で開放的なつくりとなっていて驚いた。僕が勤務していた頃は校舎内に畑があって(プランターではない!)、天窓に向かってひまわりが咲いていたり、池があって(水槽ではない!)、鯉が何匹も悠々と泳いでいたりと、それはそれで斬新的なつくりではあった。それに、冬は冬で毎日2回は雪かきしないと家が埋もれてしまうような豪雪地帯でもあった。
そんななかで3年間小学校教師として勤めてきた経験が、その後の僕に少なからずいい影響を及ぼしている。ちょっと生意気な6年生と、何色にも染まっていない1年生の両方を担任できたことが、それから先中学校教師を続けていく上での指針になっているというわけだ。そして、新卒の時にお世話になった同僚の先生をはじめ、その後田舎から都会へと転勤する先々で、僕は必ず「なんか温かいなぁ」「自分が年を取ったらこんな先生もいいなぁ」と思える同僚教師に数多く巡りあえたことも、自分の成長にとってはとても大きいと言える。
翻って、ふと思うことがある。今の自分は若い教師にそうした思いを抱かせるような存在となり得ているのだろうか。あるいは、目の前の子どもたちが何年か後に、「中学校時代はとっても楽しかった」と言えるような毎日を僕は果たして提供できているのだろうか、と。結論としては、胸を張れるほどのことを、僕は何もしていないということだけは言える。
ただ、こうした今の自分を振り返るような僕の発信に対し、「いいね!」や「コメント」を添えてくれる教え子たちの存在は、これから先の僕の教職人生に新たな指針を与えてくれるような気がしているのもまた正直な気もちである。
(山下 幸)
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