2015年1月1日木曜日

教師になりて思うこと

 先日,小学6年生のときの同窓会があった。

 私の出身校は,名寄市立名寄西小学校。私が6年生であった昭和61年の頃は,100名ほどの学年で3学級だった。私は,その3組であった。石炭ストーブの古い校舎で,3組自体も1階図工室の上に増築した教室。増築と言えば聞こえはいいが,床板は,体育館床板の廃材を使用していたため,カラフルなテープの色が,板目ごとにランダムに見られるような教室だった。クラス自体もそんな色合いとあったような個々の色が強いメンバーたちだった。

 同窓会には,毎回のように担任の先生が来てくださる。齢84歳になる高橋暢先生だ。まだまだ元気である。当時は,56歳。退職まであと4年を残す頃だった。
 このクラスの中で消息を把握できているメンバーの中で,唯一私だけが学校の教員をしている。毎回,思い出話に花を咲かせながらも,今の学校現場も気になるようで,話題がそちらの方へ何度も飛ぶ。そこに,「今はこんな感じですよぉ。」と場の雰囲気を乱さない程度に話をしていく。

 当時の6年3組は,いろいろなことにチャレンジをしていた。まさしくチャレンジだった。高橋先生自身もそういう気質の方で,クラスの色合いからも果敢にいろいろ取り組んだのだそうだ。そのエネルギーは,今の姿にも通じて,いつも感心させられる。
 今回,話題になったものは,こんなもの。
 ①1学期から夏休みも含め2学期まで,早朝の駅前の清掃活動
 ②夏休みの学級行事で,隣町のキャンプ場で10のテントに分かれてキャンプ
 ③先生宅でのお泊まり会(奥様が書道教室をされていて30畳ほどの広間があり,そこで!)
 ④校舎も1年間,朝のゴミ拾い
 ⑤ことあるごとに作文を書き,それを先生自筆の文集「太陽」として毎回印刷配布
 ⑥学年独自に教科担任制を密かに導入
 毎回毎回,忘れていたような話題をそれぞれに披露しながら,話は盛り上がる。当時のみんなそれぞれがいろいろな感じ方をし,楽しさもそれぞれで,記憶のポイントもさまざま。それが,合わさるとどんな話題も底抜けに楽しい。それと同時に,私自身は,先生がどんな思いや考えで取り組んできたのかが,今の立場であればこそ,よく理解できた。そして,子どもとしての思い,教師としての思いの狭間にある「ズレ」みたいなものを意識的にとらえることが大切なんじゃないかといつも思うのである。今回もまたしかり。

 教師になりて思うこと。そんなエピソード。

 もう1つ,付け足し。
 酒もまわって,自分自身もほろ酔いな感じになってきたとき,ふと高橋先生にあるエピソードを語りかけられた。
 「先生は,今でも後悔していることがある。太田君を職員室に呼んで説教をしたことだ。あんなことまでしなくてもよかったと思い返すんだ。」
 当の本人である私は,皆目見当がつかない。全く覚えていないのだ。どんなことをして怒られたのかを聞くこともあえてしなかった。
 「先生,たいしたことないんだわ。本人覚えてないんだもん。きっと,悪い事したと思って,さらりと反省して終わったんじゃないかな?気にしないで。それよりも,5年生の時の担任にビンタされたことの方が,オレ忘れられないわ。ハハハ。」
 教師としての自分にも,そんな後悔がいくつもある。だから,妙にシンパシーを感じた。そして,同時に子どもとの1つ1つの関わりというものは,その子の一生に関わる大事な一場面であることを再確認した。この仕事をしていなかったら。何となくスルーしそうな話題も自分にとっては学びの一場面。

 教師になりて思うこと。そんなエピソード。
                                                    (太田 充紀)

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