2015年2月22日日曜日

天道人に可なり


福澤諭吉の著作『福翁自伝』の中にある言葉です。意味を簡単に紹介します。

 

天の道を歩くことは全ての人にとって可能である。それが出来ないのは、人の知恵のなさが原因である。局所だけを見ず、全体の最大多数、最大幸福を見ると、万物とは、根本として人にとって良いものである。

 

自然の道理は万人に味方するというとても前向きな姿勢です。道はすべての人の前に開かれていて、自分自身の「不安」や「恐れ」「焦り」がその道を見えなくしてしまいます。いま悩んでいる人も、辛くて立ち止まっている人にも、道はいつも開かれていますという意味です。

 

教室で一生懸命伝えても、子どもたちは成長していないのではないかとくじけそうになることがたくさんあります。たくさんの課題が見つかって、さらにそれらの課題は複雑に絡み合っていて、どうしていいのかわからず、途方にくれてしまうことさもあります。そんなとき、『天道人に可なり』という言葉を思い出し、自分自身に何が足りないのか内省するようにしています。ですが、道がいつも開かれていることを感じても、その道を見ることが出来なければ、進むことは出来ません。

 

そんなとき、最初はとにかく目で見るようにしています。「見物・見学・拝見」する。子どもたちを見ることはもちろん、写真や動画で振り返ります。校内の先生方の授業を見させてもらうこともします。そうすると、そのうち「意見・所見・偏見・予見」を持つようになります。

そうしたら次は広く見ます。「回覧・閲覧・展覧・遊覧」します。いろんな人に出会い、意見をシェアしていきます。自分の意見がどう位置付けられるのか、本を読みます。授業のやり方を見せたくなります。仲間たちと意見を見せ合う時間を作ります。この時間はとても楽しく有意義に感じます。

すると、最初は漠然と見ていたことを、気を付けてよく見るようになります。「正視・注視・監視」するうちに、「視野」が開けてきます。見る視点が明らかになってきます。

そうすることを繰り返しやり続けることで、より念を入れてよく見るようになります。「観察」です。次第に「観」が磨かれてくるように感じています。こうして「観」を感じるようになってきて、やっと道が見つかります。

 

最近、「子どもたちを『観て』いますか?」という問いをよく目にします。努力をしても報われないと嘆くより、やみくもに進まず、「みる」段階を意識することが大事、「見る」「見せる」「見たい」そして、ようやく「見えてくる」のだと思います。

 

全ては「みる」ことから始まります。未知なるものを「みる」ことは、とても大切なことであり、見たときの感動は、とても大きい。たった一枚の写真からでも、実際に目では見えなくても、子どもたちの様子から見えてくるものもあると思います。「みる」ことを通して、道が開けてきます。何のために、何をみるのか、ただただチェックする毎日で終わらないよう、誰かと意見を交流したり、つながったりすることで、みるみる内に魅力的な道を進めるよう努めていきたいです。
(鍛冶裕之)

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