メモの内容は次のようなものだ。
「面倒くさいという言葉…。できない,わからないということを周りの友達に知られないようにするために出た言葉なのではないか」
「学習に向かっているときと,向かっていないときの違いはなにか。問題ができる,できないなのか…」
「気持ちをどうやってアップさせるか…。まず話を聞いてあげる。聞いてあげることで,たまっていたものを出させることはできる。解決にはならないかもしれないが,まず聞くようにしよう」
「できないことでのトーンダウン?」
改めて自分のメモを読み返してみる。すると,指導言等について省みるメモよりも,上記のように,子どもたちの様子に関わることのメモの方が断然多いことがわかった。自分の見方や考え方は,子どもの特性を捉えることや,子どもたちをどうやって学習に向かわせるかということに向かっていたのだ。子どもの特性に合わせることや子どもの意欲を高めることが自分の中では優先順位が高いのだ。これは,これらのことができるようになると,子どもの力を伸ばすことができると自分が考えているということなのではないか。さらに,自分の意識が,指導言を改善する等の授業の仕方について考えること,つまり自分自身を変えようとしている方向には向いていないこともわかる。自分の見方や考え方は,子どもを変えようとしていることに大きく傾いていたのだ。
日々のメモは,子どもの特性を把握することや子どもをどうやって学習に向かわせるかを考えるきっかけになっている。また,複数のメモから共通点を見いだし,自分の見方や考え方に偏りがあることに気付くこともできた。メモが自分のモニターの役割を果たしたのだ。この気付きは,見方や考え方を意識的に広げることに役立っている。
今後も,メモをもとに「リフレクション」を続けていこうと思っている。自分が意識していないことがさらに見えてくるかもしれない。どんなことが見えてくるか楽しみである。
(三浦 将大)
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