このような一言をA4の紙に書いて、教卓の中に入れています。裏面にはマグネットシールが貼ってあり、必要なときはさっと黒板に掲示できるようになっています。学習に集中できなくなって、本題からはずれたおしゃべりをしたり、掃除中に遊んでしまう場面に出合ったらこの紙が登場し、それを見た子どもが「あぁ、そうだった。今やることはこれじゃない。」と気づく、というわけです。
年度初め、僕はよく子どもを叱っていました。ですが、それだとお互いに気持ちがよくありません。なんとか自分で気づいて欲しいなぁ、という動機から、「見える化」の手法を使いました。これが効果てきめん。黒板に掲示すると、本人が気づけることももちろん、周りの子がそっと注意するようにもなりました。
めでたし、めでたし……となりそうですが、ここに気をつけたいポイントがあります。
教師から叱られようが、紙に書いて掲示されようが、「注意を与えられてから行動を改めている」という構図は変わりません。ここに子ども自身の判断力や目的意識ははたらく余地はないと言ってよいでしょう。
この紙を掲示して、行動を改めることができたときには、必ず次のようなことを語っています。
・気づいてなおせたことはえらい。
・この紙が出る前に気づけるのがもっといい。
・でも、一番いいのは、この紙の必要がなくなることだ。
・いつ、本来やるべきことからはずれてしまったのか、自分でわかる?
・そのときに、どのように頭と心をつかえばよかった?
・そうか、わかってるんだ。だったら、それをやってみようか。見てるからね。
こういうことを語りながら、見える化でできることとできないことを痛切に実感しています。
見える化とは、端的に言うと「行動変容触媒」です。
行動を変えるきっかけとしてこれほどコストパフォーマンスに優れたものはありませんが、あくまでも触媒であり、見える化自体に力があるわけではないのです。見せられた方の主体が「なぜ」変容しなければならないのか、「どのように」変容するとよいのかについて自覚的でなければ、触媒として機能しません。
ですから、「紙を見せる」ことと「語り聞かせる」ことをセットにした場合、指導として大切なのは後者です。そして、その後です。紙を見せることによって子どもの行動変容が有り、そのことについて言葉で価値付けを行う。その後の行動を観察し、よくなった点をもう一度伝える。そのフィードバックを積み重ねていくことによって見える化を必要としなくなる子どもを育てたい、というわけです。
これは、言葉だけで説教するよりも、子どもがまさにその時に行った行動に言葉をつけるという点において「よりまし」な方法です。しかし、望ましくない行動を起こさせるような学習課題だったり、学級経営だったりするわけですから、下の下の指導と言われても反論できません。
ただ、自分の学級はそこからスタートするしかないわけです。「こんなくだらないことを見える化して学級で使っているんだ……。」という忸怩たる思いは、「よりまし」な学級経営をしようとするモチベーションにもつながります。その意味では自分の学級のレベルも「見える化」されるということでもありますね。その学級に必要な「見える化」は、その学級の到達点を示してもいる。
見える化では育たない部分を真剣に考えるからこそ、見える化の効力はさらに高まる。
自分への戒めとして、学級経営にあたっていきたいです。
(藤原友和)
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