子どもたちが先生から指名を受けずに、
次から次へと発言をしていき、
課題に向かって、学びを進めている。
子どもたちがグループになって、
一つの課題を解決するために、
あれやこれやと話し合いをしている。
子どもたちが係活動を自主的に進めて、
どんどん活動の幅が広がり、
教師の想定を超えた活動をしている。
どれも、目指したい姿だと思います。
でも、必ずこうした結果には、過程があります。
それなのに、
「いきなりこんな結果は生まれない」ということを
時々忘れてしまうことがあります。過程は見えないからです。
書籍や各セミナーでの提案の多くは、結果に重点が置かれます。
結果が伝わらないと、そもそも過程も伝える必要もないからです。
もちろん丁寧に、その過程を見えるような場合もあります。
でも、「見えるようにしている」だけなのです。
「見えている」とは限らないのです。
なぜならば過程は、簡単に見えないからです。
当たり前ですが、
どんな力量・キャラクターをもった教師であるかで、過程が違うのです。
子どもたちとどんな関係性をもっていたかで、過程が違うのです。
どんな子どもたちで、どんな保護者で、どんな地域で、どんな職場で、という条件で、過程が違うのです。
もちろん提示された過程には、どんな条件であろうとも、通じる部分があります。
だから、そこを頼りに、そのあとは、自分で見えるようにするしかないのです。
この夏、たくさんのことを学んでいます。
学ばせてもらったことには、必ず「過程」があること。
まずそれを忘れないこと。大事にすること。
そして、学んだことを頼りに、見えないものが見えるようになるよう、
夏休みの残り半分を過ごしていきたいと思っています。
(大野睦仁)
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