ところが、修学旅行が目前に迫った頃、6年生どうしのトラブルが立て続けに起こりました。こんなこと、私が知る限りありません。些細なことが原因でのケンカではありましたが、確かにトラブルでした。 一見、ダメだろうと思われることですが、私にとっては、やっと辿り着いた地点です。
「いい子」であることだけを意識していた子どもたちが、行事前に落ち着かなくなったんです。やっと、自分の感情を抑え過ぎずに動けるようになりました。自分の辛さよりも「いい子」でいることを優先してきた子たちが、です。 1年半かけて、やっと、「教室は自由である」ということが伝わり始めていると実感できた出来事でした。
「背中で見せる最高学年であれ!」「教室は自由である」と言い続けてきた半年でした。「先生は、あなたたちを無条件に心から信頼している」とも。 そして、「外で頑張っている分、教室では頑張る必要はないんだよ」とも。 昨年度は「頑張っています!」アピールの大きな子どもたちでした。一転して、今年度は「頑張っている姿」を私には一切見せてくれません。私は、同僚から褒めていただくことで知ることばかりです。 でも、それでいいんじゃないかな、と思っています。
頑張る姿を見られないのはさみしいことではありますが、私の「信じる」という言葉を、彼らが「信じていてくれる」ということなのだと思うことにしています。 何より、彼らが教室で見せてくれる、子どもらしい姿が大好きなんです、私。
(水戸 ちひろ)
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