2016年11月20日日曜日

学び方を選択する。


 教員になって11年目となりました。今年は10年経験者研修に参加しています。先日この研修の一環で研究授業を行いました。研究授業のテーマは「課題探求型学習」。生徒が課題を発見し、生徒同士で練りあいながら課題についての考えを深め、解決していく。大雑把にいうとこんなイメージでしょうか。今回はこの研究授業を作る上で考えたことを御紹介させて頂きます。

 「課題探求型学習」では必ずといっていいほど、グループでの学習が行われます。本来「課題探求型学習」では必ずしもグループ学習を必要とするわけではないのだと思うのですが、様々な研究授業を観てみるとグループで話し合うような場面が盛り込まれているのが実際のところです。これはグループで意見を交流しながら、生徒が主体的に学びを深めるといったことをねらっているのでしょう。かくいう私も自分の授業に積極的にグループ学習を取り入れている一人です。

 しかしグループ学習を授業で行っていて、最近新たな疑問が浮かんできました。グループでの学習を授業に取り入れることは、逆にいえばグループでの学びを強制しているのではないだろうか、というものです。本来学問とは孤独なものという側面もあります。確かにグループで交流する価値がある課題だけど、今はまだ個人でじっくり追究したい。学習者としての生徒にはそんなこともあるのではないでしょうか。そんなときにグループで交流することを強要されてしまっては「主体的に学ぶ」ことにならないのではないか。ここで授業づくりが行き詰りました。

 実生活においても人生でぶつかる様々な問題の中には一人で解決しなければならないものがたくさんあります。確かに仲間と協力して課題を解決する場面もありますが、そのような場面ばかりではありません。さらにいうと個人でも仲間と協力してでも、どちらでも解決できるけれど、どちらの手段が自分に合うのかを自分で選択しなければならないような場面もあることでしょう。そうであるならば、仲間と協力してグループで課題を解決するのか、あるいは個人で課題を解決するのかを選択できるような場面を授業の中に設定する、ということも一年間の授業の中にあっていいのではないのでしょうか。あるいは個人とグループを自分でうまく使い分けながら課題解決を目指すような授業も実生活に役立つことでしょう。個人で行うこととグループで行うことの双方の良さと欠点を繰り返し生徒に体感させたうえで、自分で主体的に課題解決の方法を選択する力をつける。このことはきっと将来ぶつかる問題を解決する上でも役に立つに違いありません。授業における一番の目的は課題の解決です。しかしこの目的に至る手段には多様性が認められていいのではないか、そんなことを考えて今回の研究授業を行いました。

 授業はいくつかの成果と課題を残しましたが、授業後の検討(仲間との協力)と自分の中での反省を通してさらに授業づくりについて考えていきたいと思います。
                                (髙橋和寛)

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