2015年1月18日日曜日

三学期のゴールに向けて考える

 札幌では三学期の始まりは1月20日。本州では8日からだったと聞いて、ずいぶんと差があるなあと感じます。それゆえに三学期が短くなります。始業式から終業式まで、登校日数は46日です。一日一日を大切に過ごせるように、忙しさの中で押し切られないようにしなくてはいけません。
 そこで三学期が始まる前に、46日間を過ごすためのコンセプトを考えてみました。題して「三学期とは何か?」です。学級経営案などにも書いている部分もあるのですが、自分に合うフォーマットで考えていくことが重要かなあと思って作っています。三学期の活動を1,一年間のふりかえり/2,学習のまとめ/3,進級に向けての3つに分けて考え、そこでどのような活動をしていくか考えてみました。
 子どもたちにもどのようにそれを理解させながら生活していくか、さらに細かい方策を考えていくこともまた必要になってくると思います。3月までの時数や週案なども考え、標準時数をクリアした上で教科書の内容を終わらせ、さらに力をつけていくための工夫を盛りこまなくてはいけません。ゴールに向けての明確なコンセプトと、それを実現していくための具体的な手立てを考え、一日一日を大切に過ごして行きたいと思っています。

 自分なりのまとめ方として、スケッチブックにまとめています。画像をアップしていますので、皆さまに何かの参考になれば幸いです。(増澤友志)


2015年1月10日土曜日

第3回教師力BRUSH-UPセミナーWinter2015 終了!

1日目の講師を中心としたフィッシュボウルの様子。
年明け1月6日(火)、7日(水)に、札幌市産業振興センターにおいて、第3回教師力BRUSH-UPセミナーWinter2015が行われました。

 講師に、武道家でもあり、「支援介助法」の創始者である廣木道心氏をはじめとして、不登校児のスペシャリストの千葉孝司氏。パントマイマーであり、中学校教師でもある中納淳裕氏。同じく中学校教師でありながら、現役のマジシャンでもある森井与善氏。そして、数多くの教育書を通して、チーム力を生かした生徒指導提案している堀裕嗣氏をお招きしました。

 道内各地からお集まりいただいた先生方ともに学び合う、刺激と学びがいっぱい詰まった2日間になりました。

 それぞれの講師から学ぶことは、多岐にわたり、表面的に学ぶことは違っていても、「通底していることは、共通している」ということに気づく場になりました。だからこそ、その通底していることが、私たちの教師にとって、ベーシックとなる部分だということを実感することができました。

 

2015年1月5日月曜日

教師力BRUSH-UPウインターセミナー2015のご案内

冬のBRUSHは新しい荒れに対応する生徒指導だ!
困ってませんか?
支援を要する子。やんちゃな子。耐性のない子。
そんないまどきの子どもたち…。
実は教師だけでなく、子ども自身も保護者も困ってます!
今回はさまざまな子どもたちの現状と、
教師のパフォーマンスについて考えます!


日時:2015年1月6日(火)・7日(水)
場所:札幌市産業振興センター(予定)
両日参加6000円/1日参加4000円/定員50名
主催:教師力BRUSH-UPセミナー/後援:北海道教育委員会


【プログラム/6日(火)】

09:15~09:45
オープニング・セッション/大野睦仁
09:45~10:15
共演!教師のパフォーマンス!
中納淳裕のパントマイム
森井与善のマジック
10:15~11:00
鼎談/堀裕嗣×中納淳裕×森井与善
「教師のパフォーマンスと生徒指導」
FG:藤原友和・鍛治紘史・太田充紀・米田真琴

11:15~12:30/選択講座1
選択講座A:森井与善
子どもを「あっ!」と言わせるMR.モリックの手品講座
選択講座B:中納淳裕
子どもを「あっ!」と言わせるパフォーマンス講座

12:30~13:30 昼食・休憩

13:30~14:15/選択講座2
選択講座C:高橋裕章・山口淳一
若い教師のためのやんちゃ対応BASIC
選択講座D:山寺潤・太田充紀
若い教師のための不登校対応BASIC

14:30~16:45
いじめ指導BASIC
徹底協議!いじめ指導の基礎基本
いじめ事例報告(15分×3/14:30~15:15)
事例報告1:西村 弦(小学校)
事例報告2:三浦将大(小学校)
事例報告3:山下 幸(中学校)
研究協議:司会/山寺 潤(15:30~16:45)
指定討論者:・堀裕嗣・千葉孝司・中納淳裕・廣木道心
FG:藤原友和・鍛治紘史・米田真琴・太田充紀


【プログラム/7日(水)】

09:15~11:15/講座
自閉傾向児・発達障害児のパニック!
こうすればおさまる~廣木流支援介助法
廣木道心(国際護道連盟宗家・介護士)
11:15~11:45
対談:廣木道心×堀裕嗣
「廣木流支援介助法と学校教育」

11:45~12:45 昼食・休憩

12:45~13:30/選択講座3
選択講座E:太田充紀・木下尊徳
若い教師のための保護者対応BASIC
選択講座F:大野睦仁・齋藤佳太
若い教師のためのいまどきの女子対応BASIC

13:45~15:00/選択講座4
選択講座G:堀 裕嗣
教師のためのやんちゃ対応ADVANCE
選択講座H:千葉孝司
教師のための不登校対応ADVANCE

15:15~16:45
Q&A型クロージングセッション/二日間の学びをメタ認知する
司会:大野睦仁/FG:藤原友和・米田真琴
指定討論者:廣木道心・中納淳裕・堀裕嗣・千葉孝司


【講師紹介】

千葉孝司(ちば・こうじ)
1970年,北海道生まれ。公立中学校教諭。十勝ライフスキル教育研究会代表。いじめ防止や不登校に関する講演,執筆などに取り組む。カナダ発の いじめ防止運動ピンクシャツデーの普及にも努めている。主な著書「不登校指導入門」(明治図書)/「いじめは絶対よるさない」(学事出版)など。

中納淳裕(なかのう・あつひろ)
1971年,北海道生まれ。公立中学校教師。元俳優でプロのパントマイマー。言葉も通じないサハリンに裸一貫で渡り、サハリンで一番有名な日本人 になったという魅力的な経歴の持ち主。釧路の中学校では熱い指導で生徒と信頼関係を構築し、素敵な学級経営をされることで有名。

廣木道心(ひろき・どうしん)
1972年,兵庫県宝塚市生まれ。自他護身術「護道」宗家。「支援介助法」創始者。道場での武術指導と同時に、その技術の応用である介助法の指導を福祉施設にて行いながら、護道の指導を通して自他を思いやることのできる共存社会の実現に向けて活動を続けている。

堀 裕嗣(ほり・ひろつぐ)
1966年、北海道生まれ。公立中学校教諭。「研究集団ことのは」代表。原理原則に基づき、チーム力を活かした生徒指導を提唱。主な著書「生徒指導10の原理・100の原則」(学事出版)/「教師力ピラミッド」(明治図書)/「反語的教師論」(黎明書房)など多数。

森井与善(もりい・よぜん)
北海道生まれ。公立中学校教諭。札幌で公立中学校の社会科教諭を務める傍ら、現役のマジシャンとして各方面で活躍。学校ではマジックを機能的に活 かしながら、誠実でユーモアあふれる教師として活躍を続けている。「授業づくりネットワーク」や「学級経営セミナー」など、多くの研究会登壇経験をもち、 常に参加者を唸らせ続けている。


【お申し込み先】

大野睦仁(おおのむつひと) hugtheluv@gmail.com

1)お名前/勤務先/自宅住所/電話番号/参加態様/希望選択講座の6点をお書きのうえ、E-mailにてお申し込みください。
※ 参加態様は 両日参加 or 6日参加 or 7日参加 のいずれか

2)またはこくちーずでのお申し込みも受け付けております。

こくちーず ↓↓
http://kokucheese.com/event/index/235063/ 

3)参加費は当日、受付にて申し受けます。

2015年1月1日木曜日

教師になりて思うこと

 先日,小学6年生のときの同窓会があった。

 私の出身校は,名寄市立名寄西小学校。私が6年生であった昭和61年の頃は,100名ほどの学年で3学級だった。私は,その3組であった。石炭ストーブの古い校舎で,3組自体も1階図工室の上に増築した教室。増築と言えば聞こえはいいが,床板は,体育館床板の廃材を使用していたため,カラフルなテープの色が,板目ごとにランダムに見られるような教室だった。クラス自体もそんな色合いとあったような個々の色が強いメンバーたちだった。

 同窓会には,毎回のように担任の先生が来てくださる。齢84歳になる高橋暢先生だ。まだまだ元気である。当時は,56歳。退職まであと4年を残す頃だった。
 このクラスの中で消息を把握できているメンバーの中で,唯一私だけが学校の教員をしている。毎回,思い出話に花を咲かせながらも,今の学校現場も気になるようで,話題がそちらの方へ何度も飛ぶ。そこに,「今はこんな感じですよぉ。」と場の雰囲気を乱さない程度に話をしていく。

 当時の6年3組は,いろいろなことにチャレンジをしていた。まさしくチャレンジだった。高橋先生自身もそういう気質の方で,クラスの色合いからも果敢にいろいろ取り組んだのだそうだ。そのエネルギーは,今の姿にも通じて,いつも感心させられる。
 今回,話題になったものは,こんなもの。
 ①1学期から夏休みも含め2学期まで,早朝の駅前の清掃活動
 ②夏休みの学級行事で,隣町のキャンプ場で10のテントに分かれてキャンプ
 ③先生宅でのお泊まり会(奥様が書道教室をされていて30畳ほどの広間があり,そこで!)
 ④校舎も1年間,朝のゴミ拾い
 ⑤ことあるごとに作文を書き,それを先生自筆の文集「太陽」として毎回印刷配布
 ⑥学年独自に教科担任制を密かに導入
 毎回毎回,忘れていたような話題をそれぞれに披露しながら,話は盛り上がる。当時のみんなそれぞれがいろいろな感じ方をし,楽しさもそれぞれで,記憶のポイントもさまざま。それが,合わさるとどんな話題も底抜けに楽しい。それと同時に,私自身は,先生がどんな思いや考えで取り組んできたのかが,今の立場であればこそ,よく理解できた。そして,子どもとしての思い,教師としての思いの狭間にある「ズレ」みたいなものを意識的にとらえることが大切なんじゃないかといつも思うのである。今回もまたしかり。

 教師になりて思うこと。そんなエピソード。

 もう1つ,付け足し。
 酒もまわって,自分自身もほろ酔いな感じになってきたとき,ふと高橋先生にあるエピソードを語りかけられた。
 「先生は,今でも後悔していることがある。太田君を職員室に呼んで説教をしたことだ。あんなことまでしなくてもよかったと思い返すんだ。」
 当の本人である私は,皆目見当がつかない。全く覚えていないのだ。どんなことをして怒られたのかを聞くこともあえてしなかった。
 「先生,たいしたことないんだわ。本人覚えてないんだもん。きっと,悪い事したと思って,さらりと反省して終わったんじゃないかな?気にしないで。それよりも,5年生の時の担任にビンタされたことの方が,オレ忘れられないわ。ハハハ。」
 教師としての自分にも,そんな後悔がいくつもある。だから,妙にシンパシーを感じた。そして,同時に子どもとの1つ1つの関わりというものは,その子の一生に関わる大事な一場面であることを再確認した。この仕事をしていなかったら。何となくスルーしそうな話題も自分にとっては学びの一場面。

 教師になりて思うこと。そんなエピソード。
                                                    (太田 充紀)

お楽しみ会



冬休みに入る前にお楽しみ会をしたクラスは多いのではないでしょうか。私には、忘れられないお楽しみ会があります。

私は、自分も小学生時代にお楽しみ会をしていた経験から、先生になってからも何の疑いもなくお楽しみ会をしていました。お楽しみ会は休み時間での遊びの延長だと思っていました。

そのような意識の中で行ったお楽しみ会が忘れられないものとなりました。司会の話を聞かずに私語をずっとしていたり、なんでもバスケットではお題を言いたい男子達が円の中央でケンカを始めたりと、途中で何度も中断しなくてはいけないたいへんなお楽しみ会でした。

そのことを、学年の先生に話しました。学年の先生からは、「お楽しみ会のねらいはなんだったの?」と聞かれました。私には、お楽しみ会にねらいがいると思っていなかったので驚きました。その時にお楽しみ会にねらいが必要なことにその時、初めて気が付きました。

そのことを経験してから、お楽しみ会の前に学級会など話合いの機会を作るようにしています。子どもにもねらいを意識させと学級集団としての高まりは望むようになりました。

ただ行うお楽しみ会から少しでも集団を高めるお楽しみ会へと変えていきたいです。
(加賀 大介)

2014年12月15日月曜日

姿勢を見せることで…

現在担任しているクラスで漢字の定着を図るための工夫をしている。
反復練習の必要な漢字学習は子供たちにとっても楽しい時間ではない。
できるだけ宿題として出すのではなく,授業時間内での定着を図りたい。
何とか短時間で効果を上げたいというのが担任・子供たちの願いだと思う。

今年のクラスは,国語の初めの5分を帯として時間を確保し漢字の練習をしている。
その練習は,読み・書き順・画数・熟語での練習・文での練習など
子供たちがより定着しやすい方法を見極めながら取り組んでいる。

その中で,先日子供たちの漢字学習の方法としてエビングハウスの忘却曲線の実験。
20分で42%を忘れてしまうというのなら,その都度覚えなおし引き上げることで
忘れずにより定着するだろうと考えたのである。
そこで,1時間(45分)を
5分の漢字・音読・5分の漢字・文章の読み取り・5分の漢字・話し合い・漢字テスト
と細分化して取り組んでみた。
すると…テストの結果は以前と変わらず,むしろ低い点数だった。
これは1週間継続したが同じ結果だった。

この子供たちにこの方法は合わなかったのか…と思いながら
学期ごとに取り組んでいる50問の市販テストをやってみると高得点。
もしやと思って1学期の50問テストを再度やってみるとこちらも高得点。

子供たちに聞いてみるとこれまでの学年以上に練習してはいないが書けるとのこと。

どの取り組みが最も効果を上げたのかはわからないが
どれもが必要な取り組みだったと思っている。
そして,何より担任が漢字について考えているという姿勢を見せることで
子供たちは漢字という学習に対する姿勢を学んでくれたのではと考えている。

そうしたことを考えると,自分も研修を続けなければと改めて考えさせられる
今日このごろです。                                        (木下 尊徳)

奥尻の冬と教師の学び

奥尻の一日は、フェリーの運航状況をお知らせする防災無線で始まります。
「今日のフェリーは海上悪天候のため全便欠航となります。」
荒れる冬の日本海では、こうした状況が2~3日続くことも珍しくありません。
欠航が続くと、スーパーでは生鮮品の棚がスカスカになり郵便や新聞の配送も途絶えます。
道路に波があがって通行止めになることも多く、冬の島での暮らしは天候に大きく支配されます。

こうした不便さはありますが、奥尻での冬の暮らしは魅力にあふれています。
夜の海を煌々と照らすイカ漁の漁り火。
奥尻は漁場が近いのか、所によっては夜でもヘッドライトを付けずに車を運転できるほど島を明るく照らします。吹雪の日は風に舞う雪が漁り火に照らされ、オーロラのような幻想的な光景を見せてくれます。
観光シーズンから外れるため、あまり知られてはいませんが、ホッケ・イカ・タコ・寒ノリなど、冬ならではの食材にも美味しい物がたくさんあります。
厳しい冬にじっと堪えているように見える暮らしの中にも、島ならではの豊かさがあります。

先日、島の先生方による学習会が生まれました。
会の名称は、“Collaboration”(協同)、“Creative”(創造)、“Culture”(文化)の頭文字を取って、「Studio:C」です。
キックオフの学習会には7名の先生方が参加し、楽しい語らいの中にも真剣な学びのあるひとときとなりました。
厳しい環境の中でも、志があれば一級の学びができる―。島の先生方が集まり、互いの実践から学び合う場として大切に育てていきたいと思います。

(山寺 潤)

2014年11月30日日曜日

大きく広く・・・

 その子は勉強が苦手なこともあり,クラスの中ではいつも助けてもらう存在だ。
 板書されたことを一生懸命ノートに書いたり,算数の問題を必死になって取り組んだりするのだが,自分の力で正解にたどりつけないことがよくある。
 そのため,隣の子や同じグループの人にしょっちゅう教えてもらっている。
 音読の指名をすると,漢字を読み間違ったり,つっかかったりするため,周りの子たちに教えてもらいながら,なんとか読み終えている。
 グループ活動でも,自分の考えで動くというよりも,周りの子に言われたことをやるという状況だ。
 クラスの中では,助けてもらう立場。それは,なかなか変わることはない。
 
 

 ある日,1年生の算数TTに入っている先生が,その子に頼みたいことがあると話しかけてきた。1年生にいる弟のことだ。
1年生の弟は,渡されたはずのプリントがずっと入ったままになっていて,保護者に見せていない。その子にちょっと見てほしいと頼んでみるから」
と。さらに・・・
「ついでに,道具箱にはさみとかのりとか入っていないし,算数セットのブロックも全然入っていないから,そのこともお願いしてみようと思う」
ということだった。
 数日すると,その先生がまた話しかけてきた。
1年生の弟のプリントすっかりなくなってたよ。はさみとかのりとかもそろってたし。やっぱり,頼んでみてよかった。弟に話してもなかなか・・・」
と。

 クラスでは助けられることが多いその子だが,お姉さんとしてしっかり弟の面倒を見ていた。
 そういえば・・・。毎朝,妹や弟のことをお世話しながら,学校に連れてきている。
 下校時に玄関で,
「お姉ちゃんもう帰っちゃった?」
と,妹がよく尋ねてくる。とても頼りにされているのだ。
 それだけではない。学校で行っている縦割り班清掃では,
「もう,○年生の,○○やだー」
と,言いながらも,掃除の仕方を教えたり,時には注意したりと,しっかり下級生の面倒を見ながら,掃除をしている。
 縦割り班での遊びや遠足のときも,遊びのやり方を優しく教えてあげたり,下級生の手をつなぎながら歩いたりしていた。
 

 クラスという狭い視点で見てみると,助けられることが多い存在。でも,学校全体という視点で見てみると,最高学年としての役割をちゃんと自覚して行動している,頼りになるお姉さんなのだ。
 勉強は苦手かもしれないが,こうやって下級生のお世話をしっかりできることも,とてもすてきなことだ。大きく広い視点で子どもを見ることで,その子のよさもさらに見えてくる。
(三浦 将大)

2014年11月19日水曜日

思考停止にならずに、可能性を探り続ける


当たり前過ぎて「どうして」とか「なぜ」ということを考えずに、こういうものだと子どもたちに教えてしまっていることは、私たちの日常生活にたくさんあるのではないでしょうか。決めつけたり、思考停止になったりすることなく、考え続けられることは大切な力だと思います。

前任校の校長先生が書道の大家でした。中学2年の短歌の単元と書写を関連付け、「色紙に自分のお気に入りの短歌を筆で書こう」という授業をした時、いくつかモデルとなる短歌を半紙に書いてくださりました。それを授業で子どもたちに提示すると、一枚一枚の美しさに見惚れながら、少しでもそのモデルに近づけるようにと試行錯誤する姿が見られました。良いモデルは子どもたちのモチベーションと質の向上につながります。その書は、転勤した今でもとても大切にしています。

先日、久しぶりにその半紙を授業で使おうと取り出してみて、あることに気がつきました。半紙のザラザラした面に書いてある、ということです。書写の授業で半紙を用いる際、「ツルツルしている方が表です」と教えています。子どもたちも小学校からそのように教わってきているのか、当たり前のように「こっちが表」と半紙を使います。それなのに、書道の大家はザラザラの面を使っている。これは一体どういうことでしょう。

今週、札幌で北海道の石狩・後志・空知管内の先生たちが集まる教育課程改善協議会が行われました。二日目は各教科に分かれて、改善のポイントを踏まえてレポート交流や演習です。たまたま同じグループになった先生の中に、書道を専門としている中学校国語の先生がいたので、この疑問を投げかけてみました。すると、その先生もザラザラの面で書きなさいと指導しているとか。ツルツルした面で書くのがいいというのは、高価な半紙であれば言えることのようで、私たちが授業で使っているような半紙はあまり高価なものではないことが多く、必ずしも表面で書くほうがいいとは言えないそうです。その先生の話によれば、ザラザラした面を使ったほうが筆の引っかかりがあり、書きやすいのだそうです。普段はあまり気にも止めないような「にじみ」や「かすれ」の話なども聞き、同じグループのほかの先生もこれまでの指導と異なる意見に驚いていました。

ザラザラした面で書いていようものなら、「あなた、間違っていますよ」「こうじゃなきゃいけないのですよ」と注意するくらい自明のことだと思っていたことも、実はそうでもないということを知りました。私も「知らない」ことがたくさんあります。知ったようでいて、実はもう一枚裏側があると思っているくらいがちょうどいいのかもしれません。(米田真琴)

2014年11月18日火曜日

仮構空間としての学級、そして授業~定時制高校の授業を参観して~

(2014/11/18)

先日、とある定時制高校の授業を参観する機会を得ました。

文部科学省の指定で、協同的な学習を位置づけた授業を構築しようという試みです。
フレームワークを論説文の読解に生かし、対比構造を抽出させようという授業でした。
単元の終末では、その対比構造をとらえた上で、筆者の主張を再構成させる作文を書かせるのがねらいです。十数名に満たない生徒たちは、それぞれに壮絶な背景を抱えているというお話を伺いました。

授業は順調に続き、相当高度な課題に見えた学習も、学力の高い生徒がリードしていくかたちで、いくつかのグループは作業を終え、発表までこぎ着けることができました。出で立ちは、まぁ、派手な生徒さんもいましたが、担任の先生の柔らかな声がけに応えて授業に参加していました。
「思っていたよりも普通の授業だなぁ。」
そう思いながら、この協同学習のありようをどのように言葉にするべきかをぼんやりと考えているうちに授業の時間が終わりました。

担任の先生の挨拶で、授業を終えた瞬間、私は自分の認識が甘かったことを実感しました。
刺さるのです。視線が。
先ほどまで穏やかに言葉を掛け合っていたように見え、そして参観している私たちのことなど気にもかけないような態度で学習に向かっていたようだった生徒さんたちが、授業が終わった瞬間に凍るような視線を周囲に走らせていたのです。

さきほど「壮絶な背景」と言いましたが、まさしく、普通の小学校で普通の教員をしている自分が出会うことはおそらくほとんど無いであろう過酷な生活を背景に持つ子どもの目。

その中での「協同的な学び」とは一体何か。授業とは何か。学校とは何か。

小学校で荒れている学級を見ることは、私にもあります。授業が終わると耐えきれないように廊下にぞろぞろと出て行く子どもたちの雰囲気。体育館やグラウンドでようやく開放された顔を見せる子どもたち。

それとはちょうど逆でした。

私が見た教室では、授業の間は、担任の先生が目を配り、気を配り、心を配っている間だけ、たとえそれが幻想であっても、教室が安心できる場所。仮構された場所としての教室。
その中では一斉授業をただ聞いているだけの方がどれほど楽だろう。協同学習という、人と関わるなんてしんどい授業をなぜ受けなければならないのだろう。

「社会に出る前の最後の場所。」事後研で、授業をされた担任の先生は何度もおっしゃっていました。きれい事では済まない、ぎりぎりの判断や葛藤を経て、それでも安易に教材を簡単になどせず、知的存在としての生徒さんと接する先生の姿に、何か大きな宿題をもらって帰ってきたのでありました。

あ、ちなみに授業者の先生は私の授業を見に来て下さるということになりました。
楽しみです。とても。

(藤原友和)