2015年10月3日土曜日

ほめること・叱ること



「静かにしなさい」
「座りなさい」
「読んでいる本を片付けなさい」
「ふらふら動くのを止めなさい」
「立ち歩かない」
「手をいじるのを止めなさい」

私たちは、ほめることが、子どもの行動や心を落ち着かせるのを知っているのに、一日、あるいは一時間の授業の中で何度も使っている指示ではないだろうか。こうした指示は、数人の子の不適切な行動に対して行うことが多いと思うが、これらの指示に従わないと、教師は、イライラし出す。

「どうして言うことをきけないんだ」
「何度言ったらわかるんだ」
「話を聞いてるの?」
「もう〇年生なんだよ」

といった叱責というか、批判・非難してしまう。こういったネガティブな指示を何度も繰り返しているうちに、はじめは数人の子に見られた不適切な行動が、他の子へ少しずつ増えていく。これに対して、不退転の決意を持って、〇〇すべきと同じ指示を出していたら、子どもの行動は良くなっていくだろうか。無理である。むしろ状況は悪くなる。否定的で対立的なやり方は、何も生み出さない可能性が高い。2回、3回で従わない指示は、10回続けても従わないことが多い。その際に、さらに与えてしまう指示。

「みんなもやっているから、あなたもやるんだよ」
「みんなもたいへんなんだから、あなたもがんばりなさい」
「(怖い顔で)やりなさい!!」

こうした同調的で威圧的な方法は、さらに抵抗を助長する。もし従ったとしたら、教師の熱意というより運が良いだけかもしれないと思う。たとえば、他の同僚教師や保護者によるフォローがあったなど。

今年、特別支援学級の担任になり、指示の出し方がとても重要であり、それは特別支援学級に限らず通常学級にも汎用性のあることを実感する。一つの指示に対して、素直に受け入れられるものもあれば、その子にとってなかなか受け入れがたいものもある。その際、子どもたちは、教師を試す行動に出る。文句を言ったり、叫んだり、ひどいときにはかんしゃくを起こしたり。低学年ほどこうした傾向は高いように思う。たいていは、子どもの試す行動なので、教師が一貫性を持った指示を続けていれば、そこから学級のルールを学んでいく。しかし、教師への個人的な抗議と捉えてしまうと、信頼関係を築くことは出来ない。子どもたちへの心に寄り添うことなど、不可能だなぁと思う。不適切な行動をするのが当たり前で、「知らない」「出来ない」を「出来る」ようになるように支えるのが教師の仕事。ルールや指示があいまいではないか。指示を一度に多く出し過ぎたのではないか。子どもの年齢に合わないような指示だったのではないか。子どもたちを納得させる指示を、ポジティブなメッセージとともに伝えたいと思う。

たとえば、遊びに夢中になり、片付けが出来ない場合。「〇〇時まで遊んでもいい」と事前に告知する。それでも止められない状況が続いたら、今度は、「〇〇時になったら、〇〇するよ」と「やめる」ことではなく、次に何をするのか具体的な行動を示す。それでも止められない状況が続いたら、、、大きな声で言われることが苦手なのかもしれない。逆に小さすぎて聞こえていないかもしれない。ホワイトボードで伝えたり、視覚支援カードを使ったりする方が有効かもしれない。より指示を強くしたり、非難したり、ネガティブな指示を繰り返す前に、2回、3回と状況が続いたときに、指示を見直したい。

ほめればいいのか?と思うかもしれない。たしかにほめることは効果的だ。否定的で威圧的な指示よりは、ずっといい。ただ、「ほめる」ことにもいくつかの種類がある。朝の挨拶における見た目をほめるようなアイスブレイク的なものもあれば、教師の指示に従ったことに対して賞賛するものもある。あるいは、成功に向けての努力の過程をほめる問題解決的なものもある。一斉の場でほめた方がいい場合もあれば、個別にほめた方がいい場合もある。

たくさんほめればいいわけではない。叱ることも、指示も、個に合わせて行うことが重要だ。うまく指示が通らないとき、子どもの行動をよく見て、自分自身が変わっていきたい。

(鍛治裕之)

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