2016年7月6日水曜日

世界観を広げる転勤

 この春転勤しました。5年ぶり、通算6校目の学校となります。教員生活25年目を迎える教員としては、わりと早いサイクルで異動している方と言えるでしょうか。
 今回の勤務校は私が教員に採用された年に開校した、比較的歴史の浅い学校です。地域的には新興住宅地で、保護者の階層も高い方です。ちょうど教職員の三分の一も入れ替わる大量異動の時期と重なり、転勤早々生徒指導主事と2学年副主任兼学級担任を務めることとなりました。転勤直後、2年生を受け持つことからスタートしたのも初めてならば、学力的にも経済的にも、これまでの勤務校にはないほどレベルの高い学校も初めてでした。とは言え、与えられた役割に「嫌だ、無理だ」などと拒否できるような年代でもなく、ある種の覚悟を持って、学級はもちろん学年・学校づくりに奔走しました。
 学担を受け持ちながら生徒指導部長というのもなかなかハードな役回りですが、生徒指導部に関しては同僚との業務分担や校務支援のシステム、生徒や保護者の平穏さなどに助けられ順調に進みました。ところが、肝心要の学級づくりに少しずつ綻びを感じ始めるようになりました。学級が崩壊している生徒指導部長なんて、なんの説得力も持ち得ません。そんなプレッシャーを知らす知らずのうちに感じていたのか、年度当初から生徒たちを型にはめようとしすぎた嫌いがあったのかもしれません。
 数名のやんちゃ生徒たちをうまくさばききれないなと感じたとき、仲間が書いた一冊の著書と出会いました。それは『アクティブ・ラーニング時代の教師像~「さきがけ」と「しんがり」の教育論』堀裕嗣×金大竜(小学館)です。この著書から私が得た新たな気づきを紹介します。

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【その1:金大竜さんの言葉から】
 幼い頃、父に言われたことがあります。
 「学ぶということは、目線が変わるということだよ。学ばない人は、そこがどこだかは分からない。自分が何者かも分からない。学ぶことで、少し目線が高くなる。すると、自分がいろいろな壁に囲まれていることを知る。もう少し、目線が高くなると、その壁はずっと遠くまで続いていることがわかる。そうして、学ぶことを続けていると、背中に羽がはえ、上空から全体を見渡し、自分が迷路の中にいたことがわかる。その時には、ゴールまでもが見渡せる。学ぶって、自分の視点を高くしていくことだよ」(p148)

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 自分がなぜこの言葉に心打たれたかというと、これまで他者よりたくさん学んでいるという自分の中での傲慢さが、いつしか目線を高くすることを阻んでいたということに気づかされたからです。自分は学んでいるようで大事なことは何一つ学んでない。例えば、これまでと違うタイプの生徒たちに出会った場合、自分の中の目線だけでしか考えず、生徒たちの思いを蔑ろにして対応しようとする。よって自分のやり方を見直せない。迷路の中にい続ける。ゴールなど見渡せる訳がない。堂々巡りの悪循環な訳です。
 それにしても、この言葉はとても素敵な言葉です。金さんが素敵な先生であることはこのお父さんの影響を受けていることが窺えます。私もこの言葉によって、目線を高く持ち、生徒たちに任せる部分は思い切って任せてみようと舵を切り始めました。
                                                 
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【その2:堀裕嗣さんの言葉から】
 人は見たいものしか見ないし、見ようとしているものしか見えないのです。つまり、見ている世界、見えている世界というのは、自分の「見たい」「見よう」という欲求や意志によって形づくられている、非常に狭いものにすぎないのです。だから、少しでも世界を認識しよう、少しでも世界に近づこうと思えば、自分の「見たい」「見よう」という欲求や意志の傾向を分析し、少しずつバイアスを認識し、取り除くべきバイアスと、きっと取り除いたほうが良いんだろうけどこれをなくしたらオレじゃなくなるよな……というような自分の根幹として愛着をもっているバイアスと、こうしたものを一つ一つ自分で咀嚼し消化していくことで、自分の「見たい」「見よう」を広げ深めていくしかないのです。僕はこうした機能を「世界観を広げる」と言っています。(p152)

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 転勤直後というのは、とかく前任校との違いを相対的に比較しがちです。多くの人にとって過去は美化されますので、前任校の方が優れているという結論に至りがちです。かくいう転勤6校目となる私も、この呪縛からは逃れられませんでした。ところが、堀さんの言葉を踏まえると、転勤とは世界観を広げるためのものであり、世界観を広げることにより認識が深まると言えます。そしてそれは永遠に完結するものではなく、その時々に変わり続けるものであるとも言えるでしょう。
 この著書のサブタイトルにもあるとおり、私も前任校で「さきがけ」型教師でした。学級はもちろん、学年主任としても先頭に立ってリーダーシップをとることを心がけていました。それがたまたまうまくいっていただけだとも気づかずに、「さきがけ」であることで満足していました。そして、新たな転勤先では生徒指導部長。学年主任ではなくても、「さきがけ」であることを期待されていると無意識に思い込み、必然的に学級づくりにも「さきがけ」型の指導をしていたことに気づかされました。それ以降、「しんがり」型として、できるだけ生徒に任せて後ろからフォローしてみようと覚悟を決めました。
 6月に行われた宿泊学習では生徒指導上いろいろとハプニングが起こったものの、自分の学級に関してはトラブルを起こすことなくまとまっている。決して大きくまとまるのではなく、まだまだ小さくまとまっているのですが……。ただそれを見て、「しんがり」型の指導をもう少し続けてみようと決心しました。もちろん、時と場によっては「さきがけ」型の指導が必要な場面もあるでしょうが、自分にはこれまで見えなかったし、自分からも見ようしなかった世界を、広く深く見渡したいと思えたからです。
 さて、1学期も残り3週間を切りました。3月の学級解体時にどのような成否が出るかは、今後の指導の如何にもよるでしょう。ただどのような結果が出ようとも、「しんがり」型を貫いて、その広がりや深まりを見渡したいと思っています。
                                      【山下 幸】

 〈追伸〉 今年のBRUSH-UPサマーセミナーには金さん・堀さんが講師として登壇します。ぜひご参加ください。

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